前5世紀から前4世紀 [歴史・ギリシア・数学]

とくにサラミス海戦においてペルシアとの戦いに勝利して以後、アテネの民主政は徹底し、経済的繁栄は頂点に達し、文化は発展し、ギリシアの学芸の中心になった。

アテネ出身の哲学者プラトンは、アテネ郊外に学園アカデメイアを設け、そこからは多くの哲学者を輩出した。

プラトンの科学への貢献は、数学概念についての厳格な規定である。

彼は数学を「精神を高める力をもつもの」として、哲学研究の重要な予備学科とみなし、アカデメイアの門には「幾何学を知らざる者は入るべからず」のことばが掲げられた。

そして数学に極度の論理性と厳密性とを要求して、数学を感覚世界から完全に切り離した。

大きさのない点、幅のない厚さ、厚さのない面といった定義も彼のイデア論からは当然であった。

幾何学を研究する手段としてコンパスと定規だけに限定することを強調したのも、それ以外の手段は感覚的だからであった。

彼はまた、宇宙観も天動説を基にして、幾何学的に円運動と球とで扱ったが、惑星の不規則運動はどうしても説明しきれなかった。

これの説明をしたのは彼の門人のクニドス出身のエウドクソスで、彼は同心天球説を唱え、地球を中心にした27個の天球の回転運動の結合によって、惑星・月・太陽の不規則運動を解明しようとした。

プラトンの門人アリストテレスの科学的業績は、天文学や物理学ではプラトン的な思弁的色彩が強かったが、生物学では独自な貢献をした。

彼はこの分野では、経験的、帰納的方法を発揮して、約540種の動物を形態によって分類し、また、広く生物一般の相互関係について、無生物から植物、動物、人間へと切れ目なく連続的に完全度を増していくという「自然の階段」説を唱えた。

ギリシア科学の歴史をみるとき、アリストテレスは転換期を画した巨人であった。

それは、彼が全体としての世界体系を表式化した最後の人であり、他方、幅広い経験的探究に関係した最初の人であったからである。
update:2010年02月01日